2017年8月7日月曜日

原爆投下から72年の広島

平和への願いと、現実のギャップは埋めがたい。

原爆投下から72年 広島市で犠牲者の追悼続く

8月6日 18時36分
人類史上初めて核兵器の惨禍を経験した広島は、6日原爆が投下されてから72年になりました。午後からは、時折雨が降りましたが、広島市の平和公園にある原爆慰霊碑の前は、鎮魂の祈りをささげる人の姿が途切れず、広島では犠牲者を追悼するとともに核兵器の無い世界の実現を改めて国内外に訴える一日が続いています。
昨日は、広島市に人類で初めて市街地への原爆投下が行われた日であった。そして、そう遠くない未来に北朝鮮によって同じ事が行われるリスクが高まっている。



「人体実験」と、そう呼んで差し支えないことが行われたこの日に、この様な式典が行われることには個人的に違和感が強いのだが、皆さんはどうお考えだろうか?
追悼式典
毎年、この日に広島市長が演説を行い、「核兵器の無い世界に向けた取り組み」に関する論評が行われる。
もちろん、「核兵器の無い世界」を否定する積もりは無いし、実現すれば素晴らしい事のようには思う。
ことしは、歴史上初めて核兵器を法的に禁止する条約が国連で非核保有国が中心となって採択されたことを受け、広島市の松井一実市長は、「平和宣言」の中で、「各国政府は、核兵器の無い世界に向けた取り組みを、さらに前進させなければならない」と訴えました。そのうえで核保有国や核の傘の下にある日本などが条約に反対の立場を示していることから、日本政府に対し、「核保有国と非保有国の橋渡しに、本気で取り組んでほしい」と要請しました。
ただ、「核保有国と非保有国の橋渡し」とは一体どんなことなのだろう。



年を追うごとに「平和宣言」のイデオロギー色は強くなっていくように思うのだが、意味不明なのはいただけない。

平和宣言【平成29年(2017年)】

皆さん、72年前の今日、8月6日8時15分、広島の空に「絶対悪」が放たれ、立ち昇ったきのこ雲の下で何が起こったかを思い浮かべてみませんか。
~~略~~
市民社会は、既に核兵器というものが自国の安全保障にとって何の役にも立たないということを知り尽くし、核を管理することの危うさに気付いてもいます。核兵器の使用は、一発の威力が72年前の数千倍にもなった今、敵対国のみならず自国をも含む全世界の人々を地獄へと突き落とす行為であり、人類として決して許されない行為です。そのような核兵器を保有することは、人類全体に危険を及ぼすための巨額な費用投入にすぎないと言って差し支えありません。
核兵器は「絶対悪」なのだろうか?
ご高説を垂れているが、「核兵器というものが自国の安全保障にとって何の役にも立たない」というのは真っ赤な嘘だ。
北朝鮮が核開発に血道を上げ、各国が巨大な費用を使ってそれの阻止の為に色々な画策をしていることは、核兵器が実に有効であることを意味している。実際に、北朝鮮のような小国がその存在感を発揮するのに実に有用なツールとなっているのだ。
これこそ「安全保障」に「有効」である証拠では無いか。仮に、「何の役にも立たない」ならば、勝手に開発させれば良いのである。



核兵器を無くす、と言うことは、事実上不可能なのである。
その広島が会長都市となって世界の7,400を超える都市で構成する平和首長会議は、市民社会において世界中の為政者が、核兵器廃絶に向け、「良心」に基づき国家の枠を超えた「誠実」な対応を行えるような環境づくりを後押ししていきます。
広島市がやっている事は、そういう意味で独りよがりに過ぎない。
今年7月、国連では、核保有国や核の傘の下にある国々を除く122か国の賛同を得て、核兵器禁止条約を採択し、核兵器廃絶に向かう明確な決意が示されました。こうした中、各国政府は、「核兵器のない世界」に向けた取組を更に前進させなければなりません。
今年、国連で採択された核兵器禁止条約は、核保有国や核の傘下にある国々は賛同しなかった。
つまり、核兵器の廃止に核兵器禁止条約は何の役目も果たさないのである。
「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」
この様に結んでいる日本国憲法の前文は、日本にとっての一番の足枷に成り下がっている。現在の日本にこの様な事を実現するだけの経済力は存在しないし、その為の実力も無い。
日本国憲法の前文は、日本以外の諸国は理性的であり理想的な統治状態を保ち、戦争を望まないというのが前提になっていて、それを盲信するのだ、と宣言している。が、そんなことは妄想に過ぎないことは、誰もがよく知っている。



もちろん、広島が「核兵器の存在しない平和な世界」の実現を叫ぶことは、僕としても必要な事だと思うのだが、それは「理想だ」という現実もしっかり受け入れなければならない。

何より、実際に人体実験を日本に行ったアメリカに対する文句をいうでも無く、人民の命を犠牲にしてでも核兵器開発に血道を上げる北朝鮮を非難するでも無く、ただただ平和を望む日本に対して一層の努力を求めているというのが気に入らない。
一体、今の日本に何ができるというのだろうか。

そしてもう一つ、核兵器がある日世界から消えて無くなったとして、それは世界に平和が訪れたことを意味するのだろうか?核兵器が存在しない時代は世界は平和だった?
そう考えると、核兵器の廃絶にどれだけの意味があるのか、僕にはよく分からない。
平和を願うことは、良い。ただし、実現不可能な目標を立てることにどれだけの意味があるのかは、しっかりと考えるべき事なのでは無いだろうか。広島はそろそろ目を覚まし、もっと現実的な平和宣言を目指したらどうだろうか。ポエムを詠むのはアーティスト達に任せれば良いのだ。



ランキングへの応援クリックよろしく!
にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ

5 件のコメント :

  1. 核兵器どころか、石と棍棒になっても人間は争うし、戦争をやめませんよ。
    核兵器が有効なカードである以上、為政者は手放さない。
    広島であの種の運動する人に何を問いかけてもムダですよ。彼らは思考停止してるから。
    結局、崇高なスローガンに酔う人てのは、酔うことに意義を観ているからアル中と変わらないんですな。

    返信削除
  2. 核兵器が廃絶されるとしたら核兵器よりさらに威力が有り利便性に優れる兵器が普及した時かな?
    まあほとんどSFの世界の話しですが。
    しかしアメリカの恐ろしいところは敵国の人間だけでは無く自国の兵士まで核兵の脅威に曝した事ですね。
    何でも有り冷戦下で有ったとは言えクレイジーとしか言いようが・・・
    まあ中露も似たようなモノですが。

    返信削除
  3. 某アニメのように日本が「ニュー〇〇ンジャマー」を開発し世界中に埋め込めば可能かもしれません。まぁ、無理ですね。

    返信削除
    返信
    1. あるけむ(R.K.M)@fwbc1965_32017年8月8日 22:53

      「ニュー〇〇ンジャマー」に対し対抗兵器(「ニュー〇〇ンジャマーキャンセラー」←安直な名称だ)が開発されたような展開については予想の範囲だと考えます。
      技術的に開発可能か・コスト的に開発可能か...については無視します。
      それとは別の観点です。

      「ニュー〇〇ンジャマー」は、中性子の運動を阻止することで核分裂(多分、核融合も)阻止するようですが、それによって放射性物質の自然核分裂も阻止することになりそうです。
      なんか、厄介なことが起きそうですね。
      (核のゴミが減らなくなるような...)
      少なくとも、C14による年代測定は無効になる気がします。

      なんか「(悪い細菌だけじゃなく)全ての細菌を皆殺しにすれば清潔になる」的な発想ではないかと考えます。

      削除
    2. あるけむ様。
      御指摘痛み入ります。
      言われてみれば確かにその通りだと思います。

      削除

お気軽にコメントを!ハンドルネームは面倒でもお願いします。