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支那におもねる韓国、文在寅氏は南京事件に言及

一つ確認しておくが、南京事件というのはその多くがフィクションである。
「深い共感」南京大虐殺80年で中国人に 毎日新聞2017年12月13日 20時37分(最終更新 12月13日 21時09分)
 【ソウル大貫智子】韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は13日、北京市内で開かれた中国在住韓国人との懇談会で、南京大虐殺について「我々韓国人は、中国人が味わったこのつらい事件に深い共感を抱いている」と述べ、追悼の意を表した。
しかし、もしこの事件が事実であったとしたならば、韓国人は加害者側なのだ。
それなのにこの台詞をのうのうと吐く神経がよく分からない。
カナダでも加速する反日活動(2017/12/12) こちらにちらっと紹介したが、反日運動を盛り上げようという動きは各地にある。
THAADをめぐる支那と韓国の攻防(2017/12/13) それに迎合するかのようにムン君は千切れんばかりに尻尾を振った挙げ句、空港に降り立ったらこの始末だ。
南京事件(1937年12月)の不思議について、少し言及しておこう。

南京事件が問題だとして取りあげられたのは、先後に行われた南京軍事法廷(1946年)や、極東国際軍事裁判(1946年~1948年:東京裁判とも呼ばれる)である。

あまり話題にならない南京軍事法廷の方だが、これ、蒋介石率いる支那国民党政府によって開かれた裁判である。
日中戦争(1937年~1945年)の直後に行われ、日本の相手であった支那の南京で行われた裁判という事を考えれば、その異常性は分かって貰えると思う。支那の言い分を支那の法廷で裁くのである。公平性も何もあったものではない。
事実、この軍事法廷で裁かれた南京事件の全貌は、荒唐無稽に過ぎる。



証拠として提出されたものの1つに、ハロルド・ティンパーリというジャーナリストの電報があるが、このティンパーリ氏、支那国民党の国際宣伝処の顧問を務めていた人物であり、支那の工作宣伝部隊の一翼を担っていた人物だと目されている。
1937年にAP特派員として南京に移動した後、支那市民の保護に貢献していたようだが、同年9月には上海に移り、フランス租界のアパートに居を構えている。つまり、南京事件際に彼が現地にいたという証拠が何処にも無い。1937年12月13日に南京は陥落しているが、彼がこの電報を送ったのは1938年1月16日。「長江デルタで市民…

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